Lazy Diary @ Hatena Blog

PowerShell / Java / miscellaneous things about software development, Tips & Gochas. CC BY-SA 4.0/Apache License 2.0

リセットボタンの話

この話は、「マリオカート」でタイムアタックをしているときの気分を想像しながら読んでいただけるとありがたいです。
「テレビゲームにはリセットボタンがある、だからテレビゲームをする子供は忍耐力がつかない」とかいう話はよく聞くけれど、自分がゲームをしていてリセットボタンを押すとき(あるいは現在のプレイをリタイアするとき)、というのはそういう感じではないんだよなぁ。どちらかというと、せっかく焼いた陶器を、チクショーと思いながらも割る気分、というか。
リセットボタンを押すのを見た親が「すぐにリセットするのはやめなさい」と言う……例えば図工の宿題が出ていたと。課題は写生で、僕は最近何だか絵を描くのが楽しくなってきた気がする(あるいは、絵を描くのがクラスで流行っている)。僕は何枚も絵を描いては、これではダメだとそれを放り投げる。すぐに描きかけの画用紙が山になる。それを見て親はこう言う「すぐにあきらめるのはやめなさい」……つまりそれは、「あんたが描く絵はこの程度で十分だ。あんたにはいい絵を描ける技能はないし、描く資格もない(そして、クラスの中の地位なんてものはただのカスだ)」と言われているのと同じだ。自分の思い描いているもの(ゲームプレイで言う「理論値」というやつ)はもっと素晴らしいものなのに、そして自分はそこに辿りつく努力をしているのに、なぜそうさせてくれないのか。
もっと言えば、作りかけのものに執着して、一から作り直すということをしないと、それが完成に近づくにつれてどんどん破滅へ近づいていく、という状況は、少なくともソフトウェア開発について学んだことがあれば簡単に想像できるだろう(と思う)。実際、作りかけのものを捨てるというのは辛いことで、捨てる必要を認識できたらいくら完成に近づいていても捨てる、ということに慣れている、というのは重要な技能だと思う。
……ということを理解した上で問題点を指摘するのであれば、クオリティ・コントロールが効かない、という話になるのかなぁ。今まで見聞きしてきたクオリティ・コントロールが効かない人、というと、デザイナーと漫画家。陶芸家に近い、のかなぁ。