Lazy Diary @ Hatena Blog

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報道機関のドキュメンタリーと社史の関係

なんでこんなことが起こるんだろう?というのを報道機関でなくエンジニアの側から考えたのだが、もしかして「知的財産やそれにまつわる情報の蓄積や引継ぎをちゃんとやってる事業会社」と「ドキュメンタリー」って非常に相性が悪いのでは?

スパコンの開発に伴う各種設計情報などの知的財産の引き継ぎがちゃんと行われている組織なら、事業会社内では知的財産としての管掌部署が現在も設定されているはず。ドキュメンタリーを作りたければまず報道機関から事業会社の広報部署に対して「あのプロジェクトのことを教えてください」というお願いが行くはずで、そうしたら広報部署は「あのプロジェクトには誰が関わっていたのか」よりも「あのプロジェクトの引取り先はどこか」(あのプロジェクトに対して責任を持って回答ができる管掌部署はどこか)という情報を出さないとマズいですよね。そういう聞かれ方をしたときに、管掌部署を差し置いて、単に昔そのプロジェクトに関わっていた人を「この人に聞いて」と紹介してしまったら、何のための管掌部署なの?という話になる。

また事業会社内の業務に対する評価がどうなっているか?もポイントだと思っていて、広報部署としては「外部からの問い合わせに対して、知的財産の管掌部署に正しく繋げることができた」ということが評価につながるしんだろうし、知的財産の管掌部署は「保持している知財に対して正しく対応が行えた、保持している知財を使って自社のPRに正しく寄与できた」ということは担当者の評価に繋げられる。一方で、その管理元部署から離れてしまった人は、稼動を割いて対応してもそのような評価には繋がらないんじゃないかな?

じゃぁ、報道機関側がそれを分かっていてどう情報を取りに行ったらいいだろう?と考える。営業情報の社外公開に関する規則はどういうわけだかクリアできたとして、まず確実に情報が残ってるのはプロジェクトに関わった人間のリストのはず。ISMSがあるから関係者の氏名リストはプロジェクトが終わっても保管されてるんじゃないかな。ただ、ISMSのリストだけでは座組みは分からない。座組みが知りたければプロジェクトの体制図を見る必要があるが、これはプロジェクト終了後に破棄されている可能性があるし、また素人が体制図を見ただけでは誰がキーマンなのかは分からない。というわけで、この方向からもプロジェクトのキーになっていた人はだれか?は外側から見ると非常に掴みにくいのでは。「開発責任者」というのがプロジェクトの体制のどこにいるのかは分からないけど、全体のとりまとめを行ったプロジェクトマネージャではないような言い方に見える(新規技術を大量に採用する大規模なプロジェクトで、技術的な取り纏めを行うエンジニアがプロジェクトマネージャを兼任していたら、とてもじゃないけどプロジェクトが回らないのでは)。

ところで会社によっては「社史」を作るという文化があって、実はこのようなケースがまさに「社史が役にたつケース」なのでは?と思い至った。たとえ後である人が会社を離れたとしても、社史を作った時点で社内にある程度以上の役職で残っていたなら、社史には名前が残るのでは?