Lazy Diary @ Hatena Blog

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感覚を説明する話

前に特別講義に来ていた名大?の認知心理学?の先生が「感覚的な活動を仕事にしている人(例えば芸術家)には、自分の感覚を言葉にして表現するのが苦手な人が多い」という話をしていた。
で、今日も今日とて自分と他人の感覚の差を痛感しているわけですが、この手の「絵を描いているとき、何を考えていますか?」みたいな質問に答える--「生理的に○○」という感覚の説明をする、と言ってもいい--能力を獲得するにはどうしたらいいのか、という話。発想がどこから来たか、ということを聞きたいのではなくて *1、どういう発想をしたか、ということを聞きたいんだけど……。


一つ仮説が立てられそうなのは、問題が起こりそうなことに対して「生理的にイヤ」という場合。起こっている問題に対して十分な知識がなく、起こりそうなことの目星がつかないから恐い、という仮説が立てられる。勉強すりゃ解決される、ってことね。もっとも、勉強したお陰で前に疑問に感じてたことを忘れてしまう、ということは考えられる。


あと、目星をつけるということが、こっちはできて向こうはできない、という状況が発生すると、こっちは説明ができてるおかげで「生理的にイヤ」感を感じることができないから、そのせいで相互理解が滞る、ということもあるかも。


この話が俺の興味ある方向(要求獲得とかに役立てたい)に発展すると「事実認識なしの価値判断へ上手に対応するには?」みたいな話になるのかなぁ。

*1:発想が無意識から偶然の産物として産まれることがあって、そういう場合はソースの追跡ができない、という話が D.A.ノーマン「誰のためのデザイン?」にあった。参考まで