Lazy Diary @ Hatena Blog

PowerShell / Java / miscellaneous things about software development, Tips & Gochas. CC BY-SA 4.0/Apache License 2.0

「できること」と「やっていいこと」の区別 ほか

PvPありのMMORPGにおけるPKやPKKは個々のプレイヤーの嗜好によるものかと思っていたんだけど、最近は「システム上できるようになっている」イコール「そういう風にプレイするもの」と認識しているプレイヤーが相当数いるんじゃないか、という気がしてきた。

総務省 住民記録システム標準仕様書 第2.0版ではdon't have toを意味するために「実装してもしなくても良い機能」という表現を使っており、これは「しなくていい」と「してはいけない」の区別がない文化が背景にあるのでは?という考察をした。

satob.hatenablog.com

同様に、「しなくていい」と「してはいけない」の区別がない文化だけでなく、「できること」と「やっていいこと」の区別がない文化があるのではないだろうか? あまり気付いていないだけで、「できること」と「やっていいこと」を区別しない人は意外と少ないのではないだろうか?*1

それから、もしかしたら他にも同じように区別がついていないことがあったりするのではないだろうか?たとえば……

  • 「他人が自分と同じ意見を持っているかは分からない」と「他人は自分と同じ意見を持っていない」
  • 「他人は自分と常に同じ意見を持っているわけではない」と「自分は他人と同じ意見を持ってはいけない」
  • 「他の人が言っていたからというだけの理由で、自分は他人と同じ意見だと言ってはいけない」と「自分は他人と同じ意見を持ってはいけない」

*1:かわぐちかいじ沈黙の艦隊」でアメリカ大統領の息子が父親に向けて言う「泥棒の心にかけた鍵なんだ!」というフレーズが、また妹尾河童「河童が覗いたインド」で言及されている弁当箱の鍵に関する話が思いだされる